2021.09.02
住宅の設計相談時のヒアリングでどういう家を希望するかと質問すると「高気密・高断熱」と言われる方が特に最近増えていると感じます。建物の形や素材のイメージはほとんどなくただ性能値だけを求めるような方々です。中にはUA値などを指定してくる方も違います。根拠はと聞くとネットで調べた程度とのこと。寒い家を作ろうとは思いませんが、それが最大の目標とは考えたくありません。
以下は10年ほど前、旭硝子の『ハローアーキテクト」というコラムへの投稿記事なのですが、考え方は今も変わりはありません。
縁側のような場
六本木にて
数年前まだ会社勤めのころ、50万㎡を越す大規模な複合施設の設計を約1年でまとめ、そのままの勢いで30名程の設計監理スタッフが3年弱現場常駐となった。その時ふと感じたことがある。六本木の繁華街にあるプレハブ現場小屋の3階であるから、車の音はうるさいし、人が歩くと床は揺れる、カラスが屋根の上にいるとその場所が分かるほどで、もちろん強い雨となると会話が聞こえない。けど、これが妙に気持ちが良いのである。ごく当たり前のことなのだが、外の天気や時間の流れが身体で感じられる。ペラペラの窓を開けると風は抜けるし、通りすがりの施工者との会話も気楽にできる。最新のオフィス環境を自負する高層の本社ビルより、自分にはむしろ快適で好ましい場所だった。
那覇にて
ここ十数年仕事で沖縄に通っている。気持ちはもはやウチナンチューである。先日、那覇牧志の市場(マチグワー)片隅のカフェに寄った。外は雨なのに、大きく開け放たれた開口部からの初夏の風が気持ち良い。この辺の主であろう猫も自由に出入りする。あちこちで元気なおばぁがものを売る声がする。まわりの店は決してきれいではないが大きな庇やテントを張り出し、ぼろぼろの雨の漏る市場のアーケードの中に軒先の縁側のような空間をつくり出している。毎回訪れるたびに思う。雑多だけど、このすてきな空間はなんだろうと。
高気密/高断熱?
住宅のクライアントは、高気密/高断熱を最初の要望として挙げることが多い。間違ってはいないのだろうが、窓を閉めると何も聞こえず、空気の流れを換気扇にたよる空間が人にとって快適なのだろうか。もちろん省エネは時代の流れであるが、魔法瓶ではあるまいし、行き過ぎた高気密・高断熱には違和感を覚えてしまう。六本木と沖縄の例は極端かもしれないが、ご近所との関係や変化する四季とか、そんなものにも硬く閉ざしてしまっているような気がする。
庇の効果
そこで、住宅の設計では少しでも外との繋がりを強くするために、条件が許せば大きな庇によって雨や雪を防ぐことができる外部空間をつくるように心がけている。この場所は庭に面した大きな縁側であったり、お客さんをお迎えする玄関であったり、場合によっては玄関上に大きく張り出した建物自体だったりする。そして基本的にはこの庇の下にしか開口部を設けないということが、徹底できれば最良である。深い庇は雨や日差しを防ぎながら、自然を感じる内外中間の場所をつくり出してくれる上に、開口部の耐久性を約束してくれる。今まで様々な施設のサッシュやカーテンウォールの漏水に苦慮しいろいろ工夫してきたが、そもそも雨や直射日光があたらないようにしてくれる庇の効果にかなうはずがないし、庇があれば雨の日でも窓を開放できる。
清里の家を例に挙げると、ここでは建物全体をガルバリウムの屋根と壁で囲って、庇の下のみに高原への景色を切り取るような大きな開口部とデッキを設けた。庇はホームコネクタという金物を用い1.8m~2.7m片持ちで張り出し、2連引き戸は住宅用サッシュ最大寸法で製作。上部の欄間はビル用のサッシュを連窓で用いるという少々荒っぽい手法だが、気持ちの良い場所となった。
庇や軒の巧妙な処理で、内外の中間領域を上手につくり快適な場を生み出している建物は多い。最近訪れた中では、沖縄中城の中村家住宅の縁側のつい昼寝したくなるような気持ち良さ、奈良の慈光院の極端なまで構造を見せない気合いの軒と美しい庭の繋がりが強く印象に残っている。これらの建物と規模や表現方法は違っても、私の設計する住宅では、少しでもその精神に近づくことができればと思っている。
住まいの話題 執筆者
神成 健(かんなり けん)/ 神成建築計画事務所